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2015年6月14日日曜日

スケボーの少年

田んぼに囲まれたモールの中の映画館から出たらスケボーに乗った少年が居た。 あぜ道を広げ舗装したような狭い車道を、田んぼをバックにゆっくりとすべる 彼は優雅な幽霊のようにも見えた。

2014年9月28日日曜日

縮んでいく父

僕が子供の頃、父は大変怖かった。 僕がなにかやらかすと正座させられ口答えなどすると平手打ちが飛んできた。真正面に座りこちらを怖い顔で凝視している父を見ていると、時々不思議なことが起こった。父の姿が徐々に小さくなっていくのだ。目をつぶったり、脇に目をそらしたりすると父は元の大きさに戻っている。しかしそのまま見続けると再び彼は徐々に小さくなっていき、しまいには3,4センチほどの大きさになってしまう。この事は割と頻繁に起こっていたし、僕はまだ小さかったので不思議だと思いつつ誰にも話さなかった。ある時、ひとつの疑問が生じた。父が小さくなるということは周りの部屋も小さく見えるはずなのだ。父以外のもの、例えば部屋の広い範囲が見えているのだろうか?全体の視界はどうなっているのだろう?久しぶりに正座させられ睨まれた時にそのことを思い出して小さくなっていく父以外の見えるものに意識を向けてみた。小さい父の周りは彼の背景にあるもの以外はほとんど見えず、それ以外は暗く何もない空間だった。父はいつの間にか僕を正座させて叱ったり手を出すことをぱったりとやめた。その視野狭窄の出来事は父との間でしか起こったことはない。

<追記> この現象は、不思議の国のアリス症候群と思われる。
ウィキペディア「不思議の国のアリス症候群}
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E6%80%9D%E8%AD%B0%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4

2013年10月1日火曜日

ドアの下の老婆

バンドのリハーサルが終わり、いつも使ってるコインパーキングに停めた車に楽器を置いて、そのまま車を停めたまま買い物に行こうとドアを閉め歩き出そうとした時、後ろから誰かが僕に話しかけている事に気がついた。「車を置いて行くのかい?」振り返ると向かいの家の少しだけ開いたドアの下から両手を地面につけた白髪の老婆がこちらを見ている。一瞬、ざぁーっと鳥肌が立ちそうになったが「はい。また戻ってきます」と返事をした。「おやすみ」という声が後ろから聞こえた。

2011年10月11日火曜日

かまきり


僕は子供の頃、夏休みか冬休みには有明海に面した親戚の家に行く事が多かった。
当時はそれが僕の家の唯一の旅行でもあった。
そこには山羊や牛などの家畜もいて山羊の肛門から丸いコロコロした糞がぼろろと出てくるのを、僕は面白がって見ていたりした。
庭に出て石の狭い階段を降りると車道があり、渡るともう干潟だった。風が吹くと独特のあまりいいとは言えない臭いが海から運ばれてきて家畜の臭いに混ざった。当時僕にとっては唯一の「田舎」を体験できる所だった。

 僕が中学に入ったばかりの夏、そこの曾祖母が倒れ、意識が戻らない状態が続いた。僕ら家族は曾祖母を見舞うためそこに立ち寄った。僕はまだまだ子供だったので、夏休み恒例の旅行気分でいた。
僕は大叔母からビニール袋を渡されて子供のカマキリをたくさん捕まえて欲しいと頼まれた。眠り続けている曾祖母の為だという。強い日差しの日。
見下ろすと干潟が一望できる畑にはまだ伸びきっていない向日葵が植えられていた。そこで父と一緒に卵から出てきたばかりくらいの小さなカマキリを捕まえた。
僕は曾祖母とは何かを話した記憶がない。でもカマキリを捕まえる事が役に立つのだという使命感で張り切っていた。
父は「このあたりの言い伝えのごたるばってん、、、まあ、、、これでひいおばあちゃんの起きらすかもしれんけんね」と気のない言葉を残し、カマキリの収集を僕に託しどこかに行った。自分と父のその温度差が気になったが、面白いように取れるカマキリの子供を捕まえるのは悪くなかった。ビニール袋の中でわらわらと動いてる小さな黄緑色の生き物を見ながら、きっとこれをすり潰して薬にし、曾祖母に飲ませるのだろうと想像した。
 結局、曾祖母は目を覚ます事はなかった。

 今から15年ほど前、仕事で富山に行った。
そこには7歳下の従兄弟、タカシが大学に通っていたので彼と連絡を取り、久しぶりに会う事になった。彼がまだ子供の時には一家で僕の実家に一家で遊びに来ていたし、彼の家は前述の干潟に面した家から遠くなかったので、子供の頃はよく会っていたのだ。
タカシは隠れ家的な飲み屋に僕を案内してくれた。解禁になったばかりのホタルイカや極上のブリ大根を食べながら立山を飲み、大人になった彼とこうやって二人で話しているのが不思議だった。ある時期から僕らは会う機会も話す機会も殆どなくなっていたのだ。だからそんな彼と会って会話が続くのだろうかという考えは杞憂だった。すぐ打ち解けていろんな話をした。彼と会話らしい会話をするのはお互いに子供の時以来だった。

そんな彼がずっと昔から気になっていたことがあり、僕に確かめたいことがあるのだという。曾祖母が亡くなる少し前、そこで何とも不思議な光景を見たのだが、それが現実だったのか、まだ幼かった彼が見た夢か妄想だったのかを確認したいというのだ。

その家の前庭で遊んでいたら母屋の開いた窓から眠っている曾祖母と、布団の周りに大人たちが何人も座っているのが見えたのだそうだ。
彼らは布団から出た曾祖母の足に小さなカマキリを何匹も這わせ、じっとそれを見ていたのだという。子供心にも大の大人達が神妙な顔で曾祖母の足にカマキリを這わせていた光景はとても奇妙で、現実にあった事とは思えなかったのだ。
僕は彼にカマキリの子供をビニール袋いっぱい取った事を話した。

この夏、墓参りのついでにまだまだ元気な大叔母が住んでいるその家に立ち寄った。
曾祖母の遺影の下に昭和49年7月没と記してあった。
畑から見えていた干潟は農地に変わっていた。

2011年2月12日土曜日

覗いていた子




サッシを閉めようとしたら外からこちらをじっと覗いている子がいた。
僕は本当にびっくりしてうろたえたのだが、その子は表情一つ変えずこちらをじっと見ていた。
小学生くらいの男の子だったが、童顔の大人の女性のような顔でもあった。
外は真っ暗な茶畑。こちらの明かりで彼の顔と真っ赤な服がことさら鮮明に見えた。
取り繕うように「こんにちは」と声をかけた時には、その子はもうそこに居なかった。

2010年5月22日土曜日

モッコウバラ


もう5年ほど前になるだろうか。

少し強いくらいの日差しのある日、自宅の近所を車で走っていた。生け垣に咲いた沢山のモッコウバラ。その柔らかい黄色が目に飛び込んできた。
近くまでくると、中年の男が今盛りのその花を機械でそぎ落としている事に気づいた。
八重の黄色はぼとぼとと落ち、地面はそれでいっぱいだった。
温かい日と咲き誇っているモッコウバラ、それを無表情に刈り込んでいる眼鏡の男の、近くて遠いような映像は今もはっきりと目に焼き付いている